BABYMETALがサポート参加する12月5日から始まるレッチリUKツアー開始まで40日となりましたが、東京ドーム公演のライブビューイングが開催された今月5日からレッチリUKツアー開始までの中間地点となる来月5日頃には、何らかの新しい告知がなされるのではと何の根拠もないのに期待している今日この頃です。
ところで、昨日は2013年3月一杯で中元すず香(SU-METAL)さんがさくら学院を卒業した後もBABYMETALは解散をせずに期限付きで活動を継続すると発表されたライブ『I、D、Z~LEGEND“Z”』に注目し、メンバー3人が実際にBABYMETALの活動継続を決めたのはいつ頃だったのかを皆さんに推測してもらいました。
今日はその2013年2月のライブ『I、D、Z~LEGEND“Z”』を境にBABYMETALがアイドルからメタル色を強めて行く過程を振り返ってみたいと思います。
同年3月にはBABYMETAL公式から『FULL METAL BAND LIVE TOUR 2013』と題したトレイラーが発表されます。【動画】
管理人はこういうトレイラーが大好きなんですが、シングルリリースがなくなったためか最近はめっきり少なくなりましたね。このトレーラーではBABYMETALにとって初の全曲生バンド演奏となるライブ『BABYMETAL DEATH MATCH TOUR 2013 -五月革命-』の開催と、この時はまだ新曲名を告げていませんが新曲『メギツネ』の6月発売を告知しています。
新曲『メギツネ』が発売された6月には、YUIMETALとMOAMETALの初の聖誕祭『LEGEND “1999” YUIMETAL & MOAMETAL聖誕祭』がNHKホールで東京ドーム公演同様の全席座席で開催されました。
そして翌月7月にはBABYMETALにとって強い味方である雑誌「ヘドバン」が創刊されます。
また、同月に開催されたライブ『Rock Beats Cancer FES Vol.2』でフィナーレ曲となったLoudnessのCrazy nightでは参加者全員がステージに登場して盛り上がっています。【動画】
このライブでは『LOUDNESSさんのステージを見学中のMOAMETAL!!』と題して「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のミュージックビデオで披露したギタープレイのモデル、世界のタッカンさんのボスハンドタッピングを見学するMOAMETALの画像が公式ツイッターからツイートされています。【 】
このフェスを境にBABYMETALは『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』や2度目となる『SUMMER SONIC』、『イナズマロックフェス』に『LOUD PARK 13』など、積極的にロック・メタル系フェスに参加するようになります。
こうして2013年を振り返ってみると、SU-METALがさくら学院を卒業後もBABYMETALは活動継続すると発表されたライブ『I、D、Z~LEGEND“Z”』がBABYMETALにとって最初のターニングポイントになっているような気がします。
皆さんご存知の通り『I、D、Z~LEGEND“Z”』ではSU-METALが『紅月-アカツキ-』の中でもう一人の自分と戦っており、活動継続の強い意志を示唆した演出と考えれば考えられなくもありませんよね。
このように管理人は『I、D、Z~LEGEND“Z”』がBABYMETALにとって最初のターニングポイントとなったライブだと勝手に思い込んでいるのですが、皆さんの考えるBABYMETALにとって最初のターニングポイントとなったライブはどのライブですか?
【livedoor】BABYMETAL、安室奈美恵、RADWIMPSが紅白歌合戦に初出場か
【BLOGOS】BABYMETAL史上最大の決戦、その結末は|9.20東京ドームライヴレポート
【ナタリー】BABYMETALを米ワーナーがアニメ化!ヘヴィメタルの危機を救う
【ORICON STYLE】BABYMETALを主人公に、米メジャースタジオがアニメを制作
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デビューは10年だけど………実質11年からの活動で13年夏まで気配というか、存在すら知らなくて………
ただ14年がいろんな事が詰まりに詰まって爆発した年と言うことはいえる!!!
14年は、武道館!ファーストアルバムの反響!からのソニス、レディーガガとのオープニングアクトで帯同!ブリクストン!
前の年にサマソニ、YouTubeでメギツネ知ってただけでは、自分も今に至っていなかったわけだから……
とにかく爆発のきっかけになった、自分にとっての大事件な年になったわなぁ
僕はソニスフェアだと思っています。
ただ最初と言われると、やはり神バンドと
一緒にやりだした辺りだと思います。
下のコメントで三姫に関しての話しがありましたが僕もこの呼び名は好きではないです。
後、メイトっていう呼び名も
こっちの方が嫌いです。
僕が中学生の時に週刊ジャンプに
すごいよマサルさんという漫画が掲載されていたんですが、このイメージが強すぎて
僕はセクシーメイトにはなれないです(笑)
3姫が使われ広まった時期は覚えてないけど、使われ始めた時、幾つかのサイトで論争が起きた
論争は平行線で、結果はとしては論争自体が下火になっていった まぁ個人の自由っていったところかな
個人的には気持ち悪いと思うし、その言葉を使ってるコメントは読み飛ばすくらい嫌悪感がある、そして気にしないように努めてる(笑)
3「き」と読むと、漢文・・三國志とか漢のイメージになります(^_^)
「3姫4神」とか、短い中に敬愛を込められて使い勝手のよい言葉に感じられるんですが、それほどイメージが悪いのであれば使わない方がよいか・・。
ちなみに、BMにハマってから半年ほどの新参者です。一通り動画を漁りましたが、裏の歴史を知ると一層ハマります(^_^)
ソニスフィアは海外向けにはターニングポイントだった
最初の所でも書いているのですが、これは以前に、別の場所で、2ndのレビューを書いた時に、ソニスについて書いた箇所だけ、セルフコピペしたもので、新しく書きおこしたものでなかったもので、かなり恐縮です。
なるほど、、感慨深いですし、又感動しました。
ノーベル文学賞モノdeath。
ソニスはBMの全てにおいて存在を確立したライブだと思います。
その時にはきっと「やってやるぜ」っていう決意覚悟があったんでしょうね。三人はあんまり不安そうな様子を見せないようなので、いつも自信満々に見えますので、どこから変わったか?新参ものには推し量る事ができません…。
三人って書きましたが、彼女達はなんて呼ばれたいんでしょうね〜。
地獄のカルテット?
スミマセン!冗談デスみなさん!
普通に3人でいいんじゃね
という点ではやはりソニスでしょうか。
いける、という手応えあったと思います。
クイーンと妖精と小悪魔のユニットに、近衛の4銃士(神バンド)+じいや(KOBA)
または前田さんLEDAさん宇佐美さん入れて7人の侍+じいや
っていうイメージだからソニスあたりからかな?
子どもが変わる瞬間って、だいたい中ニくらいじゃないですか。やや遅いSU-と、早熟なYUIMOAのタイミングがヘドバンギャーで一致した、という見方もできますね。
私も3姫って書いたこともあるけど、なんか違和感があります。
なんかぴったりの呼び名、ないもんですかね?
それより「すぅ、ゆい、もあ」
お前誰よ、親族のかたですか?と言いたくなる。父兄・エリートに多そうだな。
1,2,3のTanuki-Metalさんのソニスでいいよw
ソニスを知らない方々にも伝承してほしい、という観点でソニスはでかいよ
13>.、、いちいちかよ!
こちとらファンで、皆さんわりかた、3姫と言われてたりするので、書いただけだ、それでは、
〇3人
〇Su-METAL..YUI-METAL.MOA-METAL
〇すぅ、ゆい、もあ
〇すうさん、ゆいちゃん、もあちゃん
etc.....どうするよ?
3姫良いと思いますけど‼
See You.
ちょっと違う見方をすると、すぅちゃんの転機となったのって、
「1999」「1997」じゃないかと想像します。
どっちも後半から神バンドが入りますが、
特に「ヘドバン」での、すうちゃんの気持ちの入り方がすごい。
表現は悪いですか、変な意味じゃなく「イッちゃってる」ように感じました。
インタビューで「自分の中のモンスター」について言及してるのがあったけど、
あれ、ぴょいっと解き放ったのってこの時期だったりするのかなと思ったり。
見当違いのこと書いてたらすいません。
次に「D」を簡潔に。
BABYMETALの、そしてさくら学院の原点は「可憐Girl's」であり、「Over The Future」である。
メンバーだった中元すず香はもちろん、YUI、MOAその他さくら学院のメンバーにとっての聖典。そういう一曲なのだということ。
それを知ってから楽しんでいただきたい。
「I」の反響を受けて、SU-METALを「女神」と置き換える演出に一切ためらいはなく、ラストもそれにふさわしい。
最後に「Z」。
最後の文字であり、同時に「さくら学院重音部」としての活動たるBABYMETALは、翌月の中元すず香の「卒業」によって、
惜しまれつつも解散するのではないか(してほしくないが「解散するほうがよいのでは」という感覚を含めて)という見解があり、
なのでこれをもってラストライブになるかも、という不安は多くのファンにあった。
いったいどうするのが正解かわからない、複雑な気持ちを抱きつつ、ラストかもしれないと燃えたライブ。
(オープニングテーマの「DEATH」を除き)全ての持ち歌を出したあとのカウントゼロ。そして客電が点いた時のファンのコール。
これで終わったんだろうか。いや、今はっきりとわかった、終わってほしくないんだ!という声。声。
そして、カウンターは再び鼓動とともに動きだした。
この瞬間から、BABYMETALはある種の信仰になった。
ともかく、BABYMETALの歩みを振り返ると、初期のLegend IDZの位置づけはとても重いように思います。
私は、最近のファンですので偉そうには言えないのですけど、
当時を知る方(suntalkさん)によるアマゾンレビューに秀逸なのがありますので、紹介させていただきます。
https://www.amazon.co.jp/LIVE~LEGEND-I%E3%80%81D%E3%80%81Z-APOCALYPSE~-Blu-ray-BABYMETAL/dp/B00FB6FT4U
まず「I」。初の単独ライブとして期待が高まるBABYMETALのライブのスタイルは、
この時点ではまだ明かされていなかった。どのくらいの時間のライブか、MCとか演出とか。
それ以前にあった「レジェンド鹿鳴館」ライブの話はちらと聴いていたけど、宣材用演出の可能性もあったし。
さくら学院重音部ということで、さくら学院的なライブの予想もあった。
当時「ヘドバンギャー」は発売されていたものの、
グループのイメージは「ド・キ・ド・キ」「いいね!」の多彩でポップな音楽、
メタル色は薄く、フェイクのようでいてしかしよく作りこまれた曲やダンス(ド・キ・ド・キの倒れ込みやいいね!の間奏の衝撃!)、
そしてクールなトレイラームービー。。。確かにSU-METALの歌唱力は知られてはいたが、
歌姫の周りを小さなYUI、MOAが天使のように舞うそのキャラ自体を楽しんでいた。
(あと、多くの人はトレイラーで「イジメ」の前奏のみを知り、ただすごい!という評判だけを知っていた。)
さて、そんなふうにして多くのファンが臨んだライブが、これであった。
これでようやく、当時の衝撃を想像できるだろう。
まさか、あそこまでいろんな要素が煌めいたライブで、もっとも輝いたのがSU-METALの歌だったとは!
MC無しなどBABYMETALのライブスタイルが確立され、神バンドも付いた。
それ以降の出来事は、すべてその延長線上。
初めてヨウツベ動画見たとき、これ合成やろ?って我が目を疑った。
日本のアイドルみたいな少女が、イギリスのフェスでしかも生歌、プラスバックバンドの音がマジ凄ぇし、わたしの中では今迄の常識が覆った右往左往の大騒ぎでございました(^。^)
そしてギミチョコ!!のMVのライブでもあるしね
何となく追加でコメントしたくなった(笑)
最近とっても涙もろいんDEATH!
理由は一番の好きなライブだから(笑)ではなく、このライブから会場規模やステージセットにメジャー感を感じる
アイドル(アーティスト)としてワンステップ大きくなった事を証明したのがLegend1997
って勝手に思ってる
自分、BMメイトのきっかけは、ソニス映像のI.D.Zだったですねー。今となっては、いつでも全開なのは承知の通りですが、抜群の演奏+全てを叩きつけるかのような、全開3姫、やられましたーって感じでした。今でもときどき振り返り、やっぱりいいわーですね。
将に音楽史のEPOCHとなる出来事がここから始まった
それは、喩えて言えば、高校野球の投手が100%アウェイの大リーグのマウンドに立ち、完封試合を行った
しかも、それは始まりに過ぎず、更なる高みへと今なお昇り続けている
その場にいたイギリス人はBabymetalの凄まじいpotentialに圧倒されたと言っていた
生きて歴史の動く瞬間を見れた君は幸せだとreplyした
もちろん、「最初ターニングポイント」として管理人さんの述べていることもわかる
しかし、不可逆的意味でのターニングポイント、「歴史の切断 coupe』として、Sonisphereは教科書に載せたくらいだ
異様な雰囲気の中、姿を現したBMは、一瞬まるで狼の群れに解き放たれた羊のようにみえました。
そして、登場時の衣装を華麗に放つ場面で袖に引っ掛かる、イヤモニの不調によりダンスの滑り出しが揃わない。
など、BMらしくない様子は、あまりにも儚げで、ちょっと目を覆いたくなるばかり。
もしかしたら、その場の雰囲気に呑まれるのではないか?そんな不安がよぎりました。
しかし、BMの一挙手一投足と、神バンドの奏でる音が共鳴し合い、その彼らのステージが鳴動を始めた時、
本物の狼たちは、威風堂々とそこに君臨しており、そして、呑まれたのは観客の方でした。
日本の音楽史の歴史を変えたと、これからずっと語り継がれるであろう、
BMと神バンドによる約30分間の圧巻のステージが始まりました。
―――
全てが終わった時、会場には、”One more song!”,”We want more!”など、
アンコールを求める声が、そこかしこから聴こえてきました。
”We are Bebymetal!”と、高らかに掲げられたBMの旗は、誇らしげで栄誉に満ちていました。
そこに至るまでに、捧げられた多くの時間(それは、平凡な子供であったなら、普通に享受できる
大切な時間だったかもしれない時間)と、その努力に私はしばし想いを馳せました。
もしも映画や小説で、こんな筋書きを描けば、予定調和にもほどがあると
言われかねない位の大勝利でした。
が、しかし、これは勝つべき人たちが、勝つべくして勝ったのです。
この日を以って、英国はBMにとって第2のHomeとなりました。
*連投、長文失礼しました。
当日、まだ早い時間だった事もあり、BMが出演する前まで客足は鈍く、メインステージも
ガラガラだったのですが、直前になるとその時間帯には異例なほどの満員状態となりました。
(BM出演時約6万人が参加したと公式発表していたと、記憶しています)
フェスでは、通常サウンドチェックにある程度時間を掛けるもの(ましてメインステージ)
なのですが、神バンド及びBM音響スタッフは、それをほとんどさせて貰えず、
満足な調整が出来ないまま、本番を迎える事となりました。
(急なメインステージへの出演枠の増加により、想定のタイムスケジュールが崩れた故なのか、
あるいはスタッフの一部にもBMを快く思わないメタル原理主義者が居たのか、今は定かではありません。)
東洋から来たこいつらは、どれ程のもんかと好奇の目を向ける数万に及ぶ群衆、
期あらばとボトルを握りしめる者も、中にはきっと居た事でしょう。
欧米のHR/HM系主要メディアも、BMの話題性には気づいていましたが、
彼らが本物足りえるのか?あるいは、一過性の話題と注目を集めただけのまがい物なのか?
まだこの時、明確な判断を示しておらず、このステージは、
彼らがBMの真価を見極める為の試金石として、恰好のものでした。
期せずして、英国デビューとしては最高の大舞台が用意されたわけですが、それは諸刃の剣で、
もしこのライブが失敗すれば、負の烙印を押される事を避ける事はできず、一度ついた烙印は、
その後の欧米へのプロモーションへの大きな障害となった事でしょう。
欧米の音楽業界は、東洋のロックスターに「次の機会」を簡単に与える程、甘い世界ではありません。
そんな逆風と重圧の中、祖国から遠く離れた異国の空の下、ほぼ孤立無援のステージにBMは降り立ちました。
・~・~・~・
Sonisphereは、HR/HMを中心としたRockフェスで、その歴史は古く、伝統ある祭典として、
英国のRockファンに愛されてきました。
そして、その歴史あるフェスにBMの出演が決定した時、その是非について、公式Facebook上
などで大きな論争を生みました。
それらの意見は、どちらかと言えば、否定派が多く、その否定派の意見としては、
BMは、つくられた商業バンドであり、そんなバンドがHR/HMの聖域を侵すのは、許せない
というものが多かったように記憶しています。
ソニスフィアには、気にいらないバンドには、ピーボトル(ションベン入りペットボトル)
を投げるという伝統がありました。
〈参考動画 https://www.youtube.com/watch?v=_hnxies4Wtk〉
そして、否定派のコメントの中には、その伝統の実行を宣言する者、それをほのめかす者、
など、不穏な空気は、なんともいえず、途中で見るのさえ嫌になるほどでした。
そして、運営はそれらの喧騒や問い合わせなどの反応(賛否両論だが)の大きさに、
当初小さなステージでの出演が予定されていたBMを、無名の新人バンドには異例かつ、
破格のメインステージへの大抜擢を決定しました。